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映画「あいときぼうのまち」

演劇や映画などを知り尽くしている越谷のYさんから、

おすすめの映画の紹介がありました。

 

Facebookに載せた文章です。

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「あいときぼうのまち」

 

 

  最初に結論を言えばこれは傑作である。  

それは「原発問題」という困難なテーマに果敢に挑んだことに対する「ひいき目」ではない。

テーマを見据えながらも、テーマに寄りかかることなく、きっちりと「人間と人間の真実」を描いた映画だからだ。

 

 物語は原発に翻弄され続けた4世代一家族史を通して現代日本が抱える病巣をもあぶり出す。  

1945年=天然ウラン採掘現場である福島、石川町、1966年=東電による原発建設用地買収に揺れる双葉町、2012年=福島を逃れた被災家族が身を寄せる公務員宿舎。

そして運命の2011311日の福島県南相馬市ーー物語はこの4つの時空を往還する。  

交差する物語の主軸となるのは2012年に生きる16歳の少女・怜の視点。南相馬市で被災した彼女は東京という異郷の地で暮らしながら、311で自らが手を染めたと信じる、ある出来事を引きずったまま、刹那的な日々を送っている。  

ある日、町で見かけた義援金詐欺の青年・沢田を難詰したことをきっかけに、二人の魂の漂泊が始まる。沢田もまた心に闇を抱えて生きていた。

 

  2011年。怜の祖母・愛子(夏樹陽子)は61歳。

フェイスブックがチュニジアのジャスミン革命のきっかけになったことを知り、胸をときめかせる。

そして16歳の時に別れたまま音信不通の同級生・健次とフェイスブックで再会する。

健次は東電で定年まで勤め上げるが原発で働いていた息子の死が被曝によると思われるものの訴訟に踏み切れないまま悶々としている。  

1966年。愛子の父・英雄は原発用地買収に応じないため村八分にされている。健次の作った標語「原子力 未来の 明るいエネルギー」は村の象徴としてアーチ型看板になる。

 

 1945年。母子家庭の英雄は15歳。

軍の機密であるウラン採掘現場に徴用されている。

英雄の母は現場の指揮官である陸軍技術将校・加藤と不倫関係にある。

英雄はしかし、加藤に対する敬慕の念を抱き続ける。

 

  怜の祖母・愛子、愛子の父・英雄、英雄の母。それぞれの生と性と死。

 

 4つの時代が混乱しないように、画面はそれぞれの時代の色調で統一されている。これはわかりやすい。  

時代を往還しながら、311に収束し、そして「赦し」の2012年につながる。その脚本の巧みさ。

 

 若松孝二監督門下である井上淳一の脚本は抒情に流されることなく、若松監督の遺志を継ぐかのように、映画の中で「テロ」を決行する。

そのシーンは映画史上稀に見る美しくも悲しいテロルのシーンとなった。  

怜の魂が浄化されるラストの「赦し」の場面には滂沱の涙。

これこそが映画だ。  

 

劇中で何度も映し出される「明るいエネルギー」の標語。

そして愛子がつぶやく「未来は明るいかなあ」というセリフ。

「愛と希望の街」。

果たしてこの国に愛と希望はあるのか……。

3.11を利用するかのようにますますひどくなっていくこの国。

しかし、それでも希望は失いたくない。

 

 「あいときぼうのまち」は反原発映画という括りにおさまらない、静かな怒りを湛えた愛と希望の物語にほかならない。

 

 東電、広告代理店に気兼ねして芸能事務所が二の足を踏み、キャストに難航したというが、愛子役の夏樹陽子さんは台本も読まずに即諾したという。

それだけで夏樹陽子さんや健次役の勝野洋さんを支持する。

 

 音楽がまたすばらしい。

 

映画ははっきり「東電」という固有名詞を使っている。

仮名にせず、東電を標的にしたその潔さ。

単館ロードショーは最初の1週間が勝負。

金曜行動に行く人が全員見ればヒットする。この映画はぜひ見るべき。

 

観客動員がよくないため、土曜日から今まで4回上演だったのが2回に減るそうです。

 

 残念です。

 

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