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講演会報告 「福島原発事故後の現実を生きる」

アザラシさんが講演会のまとめをしたものです。

 

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小出裕章さん&鈴木大久さん講演会「福島原発事故後の現実を生きる」
2013年4月21日 日体桜華高等学校 講堂
鈴木大久さん(浪江町復興計画策定委員)のお話(50分)
小出裕章さんのお話し(90分)

鈴木さんのお話には、やはりショッキングなことがたくさんありました。
箇条書きに要約いたします。

「私の目から見る原子力災害」鈴木大久

鈴木さん
原発から70kmに自宅がある。
浪江町で代々味噌製造をしていた 現在は仙台市に避難。
子どもは群馬と埼玉。父親は二本松。

この問題の難しさ
個人個人で答えがみな異なる
「帰る」「帰らない」という対立
不安から、確かな「正しさ」を求めようとすること

浪江町の津波被害 10m 死者322名

原発事故後の避難
12日早朝
原発半径10キロ圏内に避難指示が出たことをNHKテレビで知る。
国からの情報一切なし。
町は北西部の津島地区に避難指示。
大熊町双葉町は11日から避難開始していたらしい。
数千人は津島地区に入ったが、残り1500人は独自の判断で避難。
もともと人口2000人の地区に浪江町民20000人全てが滞在するのは不可能。

3月12日午後1号機爆発
3月14日午前3号機爆発
3月15日朝2号機爆発

14日15日津島地区に雨と雪
当日は80~100μSv/hあったと推定されている。
人々はそこに留まり、湧き水で米を炊いて食べた。
14日に至るまで放射線量の情報は一切無かった。
15日に二本松に避難。

現在は浪江町民6600人が県外に避難。
和歌山県以外の全ての都道府県に避難している。
県内では福島市二本松市本宮市郡山市いわき市など。
これらの都市の平均空間線量は0.5μSv/h
現在の浪江町の空間線量は20mSv/y未満から100mSv/yまで

鈴木さんのある日の外部被曝量
浪江町 約8日で1mSv
福島県内 約3ヶ月で1mSv
県外避難先 1年で0.45mSv

東電・国・件・町は「福島に人を戻す」という点で利害が一致している
なぜなら、失業したら困るから
復興=帰還という規制路線が敷かれている
一方多くの町民は戻れないと思っている
住民不在の復興計画
「除染」しても1週間後には元に戻ってしまう
高線量地域が広範囲に広がっているから、その中の一部だけ除染しても

効果がない。
「『安全』でなく『安心』の基準を作る」ことが必要
自分が安心できる基準を各自が決める

(「安全でなければ安心はできない」小出さん)

原子力災害によって避難してきた、と言うと部屋が借りられないし、

クレジットカードの更新ができない。
なぜなら、無職だから。(賠償金はもらっているから生活はできる。)

復興とは
一人一人の暮らしの再建
ふるさとの再生(帰る・帰らないではない形で)

 



「福島原発事故後の現実を生きる」 小出さん

トリニティ
広島原爆のきのこ雲
広島の町並み
長崎原爆のきのこ雲
原子力発電と火力発電は湯沸かし装置
厖大に生み出される放射能
100万kw原発1基が1年間に生み出す放射能は1t
チェルノブイリ原発
チェルノブイリ事故で放出された核分裂生成物の量 広島原爆800発分
チェルノブイリ事故時の避難用送迎バス
チェルノブイリ事故による汚染マップ
チェルノブイリ事故後の4万Bq/m2異常の汚染地(放射線管理区域) 145000km2 (日本の国土は378000km2)
事故後、猫と猫の餌用の鍋(?)だけを持って泣きながらバスに乗る女性
チェルノブイリ事故由来のセシウム137が日本にもやってきた。
チェルノブイリ事故によるセシウム137の地方への降下量
事故から無縁な機械はない
原子力推進派が取った対策
原子炉立地審査指針
都会で引き受けられない危険を過疎地に押しつけてきた原子力発電所と

核施設
東京電力は自分の給電範囲から原発を追い出した
Mark I型格納容器
福島原発事故今進行中
過去現在未来の危機
1~3号機
溶け落ちた炉心がどこにあるかもわからない
果てしないその封じ込め作業と労働者の被曝
大量に放出された放射性物質
今現在、そして今後も続く住民の被曝
福一全景
4号機現状
4号機工事概要
福島事故で大気中に放出されたセシウム137 広島原爆168発分
日本政府がIAEAに提出した報告書
実際はその2~3倍だろう
セシウム137汚染の世界への拡がり
福島を中心とした東北関東の汚染マップ
日本は「法治国家」か?
年間被曝限度1mSv、40000Bq/m2以上は放射線管理区域という法律を

反故にした
変わってしまった世界の中で
学問の到達点 BEIR VII報告(2005年)
被曝リスクには閾値はない
ICRP 2007年勧告
100mSv以下でも被曝リスクに閾値はない
私の願い
1.子どもを被曝させない
2.1次産業を守る
1万人・シーベルトあたりのガン死数
原子力を選んだことに責任のない子どもたちは被曝に敏感
東京の汚染マップ
比較的汚染の少ない地域(東村山)でもマイクロホットスポットがある
黒い物質
問われる責任
かつての戦争の時
大多数の日本人は戦争に協力した。
騙されたからだと言い訳をする人もいる。

福島原発事故を起こした今、
多くの日本人は騙されていたと思うかもしれない。

しかし、騙されていたとしても、無罪ではない。
未来の子どもたちから問われる。
その時お前がどのようにいきていたのか・・・と。

終わります
ありがとうございました

 



【質疑応答】

質問1 福島の廃炉に際して、放射性廃物はどのようにすればよいか。

鈴木
「浪江町から避難した人は浪江町以外には置き場はないと思っている。

しかし国がそれを言わないのは、人々を戻らせたいからかと勘ぐっている。」

小出
「福島第一原発由来の放射性廃物は元の場所に返すのが本来の在り方だけど、

福島第一原子力発電所は、今それどころではないから、福島第二原子力発電所

に置くのがいい。」

質問2 現在の日常生活で、吸気による内部被曝の危険性はどのくらい

ありますか。

小出
「たしかに、土埃が舞い上がる時にはマスクをした方がいいでしょう。

しかし、すでに、事故直後、3月15日に吸い込んでしまっているんです。

空気の汚染は、事故直後に比べれば、現在は、大変少ない。

むしろ今は食品による内部被曝に気をつけた方がよい。

マスクをすれば、いくばくかの防御はできますが、でも、子どもがずっと

マスクをし続けるのは、とっても大変です。」

「子どもがマスクをし続けるのは大変です。」そういいながら、

小出さんはお笑いになり、私も笑いました。泣き笑い。

「ですから、食べ物に気をつけることをしっかりやった方がよい。

特に子どもたちが食べる給食に関しては、最も汚れていないものを

使うべきです。」
お話をうかがいながらうんうんと頷いてしまった。

質問3 脱原発のためには何をすればよいか

鈴木
「原発よりも自分達をどうにかしてくれ、というのが本心。

自分達の生活がどうにかなったら、考える。ごめんなさい。」

小出

「(いつもの質問にいつもの通りお答えになる。)
わからない。
私は原子力を止めさせようとして40年間できることをやってきましたが、

止めることはできなかった。原子力を止めさせる方法があるのなら、

私がやっていました。
私には私の歴史があり、皆さんには皆さんの歴史があります。

私は私のできることをやりますから、皆さんは皆さんの個性を生かして進んで下さい。」

私は熊取での議論を思い起こし、万感胸に迫ってきたのでした。

http://blog.goo.ne.jp/kodomonomirainet/e/620af95344c02e4607f46e42c0ecead7